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「夕張映画祭2011」実行委員会

高秀蘭(こう・しゅうらん⁄シャーリー・カオ)

実行委員長 高秀蘭(こう・しゅうらん⁄シャーリー・カオ)

台湾テレビのプロデューサーとしてキャリアを積み、1986年ニューウエーブを設立。以降、中国語圏の優れた監督の製作・配給に関わってきた。カンヌ映画祭グランプリを受賞した台湾の侯孝賢(ホウ・シャオ・シェン)監督の「非常都市」(1988年)、「戯夢人生」(1991年)のプロデュースを始め、中国の張芸謀(チャン・イーモウ)監督の「紅夢」(1991年)、「活着」「上海ルージュ」(1995年)、「何平」(ハー・ピン)監督の「哀愁花火」のポストプロダクションを努めた。陣凱歌(チェン・カイコー)監督とは「さらば、わが愛/覇王別姫」(1993年/カンヌ映画祭パルムドール受賞)、「花の影」(1996年)「始皇帝暗殺」(1998年)、「鳳凰わが愛」(2008年)、新宿インシデント(2009年)のプロデュースを手掛ける。

中川幸司(なかがわ こうじ)

副実行委員長 中川幸司(なかがわ こうじ)

1980年2月29日 (埼玉県行田市出まれ) 2002年 慶應義塾大学商学部卒業後、イギリスへの語学留学後、IT関連やコンサルテイング事業に携わりながら、北京大学の大学院に留学。 2008年 北京大学大学院 光華管理学院(経営学修士)修了 2010年3月 株式会社ゲッテイコミュニケーションズ(現GMHoldings(株))取締役就任。
2010年10月 GMHoldings(株)代表取締役社長に就任。 北京大学の留学中に、在中国の日本人留学生を支援するNPO法人を立ち上げ、日本人学生の生活支援を行うとともに、現在、在日本のアジア留学生や、在アジアの日本人留学生の支援並びに親善友好をテーマに、日本とアジアのかけ橋となることを、事業を通して実現することを目指している。現在も、北京大学大学院光華管理学院 国際経営及び戦略管理学科後期博士課程所属し、日本人初の北京大学の経営学の博士号取得も目指す。現在の主な研究テーマは「アジア地域の企業戦略」、「ICT政策による日本の国際競争力強化」、および「国際的市民活動組織の経営戦略」

実行委員 林恵春

実行委員 林恵春

湖南省常徳市出身、また湖南省中央政府公務員を経て、1992年(中国改革開放初期)、他の有識者と共同出資し、ソフトウェア開発会社である「創智ソフトウェアパーク(Powerise Software Park)」(パーク=産業基地という企業形態の一つ)を設立し、1998年、中国深センにて上場し、 2006年、子会社の売却を契機に、チャイナソフトウェア国際有限公司団集団の副総裁に就任。その後、個人投資家を経て、清華大学継続教育学院コース教授・清華大学国際エンジリアリングプロジェクト管理研究院・特聘教授(特任教授)・清華大学CEO国際人事交流プロジェクト顧問・北京大学精細化管理研究センター研究員となる。アニメ漫画産業の研究から、「広州市産業連合会」(1600社加盟)との強いコネクションを持つ。また、長沙市出身者として、アニメ産業基地(中国全土の67%)を有し、外部受託制作会社ではなくオリジナルアニメ制作会社のシェアトップ5位である中国アニメ基地の長沙市のアニメ産業に関与。
また、清華大学教授という立場から、「中国中央政府、北京市政府」ならびに中国に事務本部を置く「企業家トップ層」との強い繋がりを持つ。

太田雅人

実行委員/ファウンダー 太田雅人

1965年 8月4日生まれ。1984年 大阪府立大手前高等学校卒。1989年 関西学院大学経済学部卒。1989年 日本電気(株) (NEC)入社。1991年 NEC退職後、GETTIグループ創業。GETTIグループ創業者。現在、株式会社GETTI代表取締役、GETTI INC.(本社:米デラウエア州)CEO。1986年の学生時代、ラグビー同好会に所属しながら"JCF日本サークル連盟"を設立し、企業側からの学生活動の協賛・支援の窓口を担う。その中で、企業の学生マーケティング・ニーズに気づき、ヤングマーケット向けの広告・プロモーション・情報配信を行う、学生ビジネス集団を設立。大学卒業後、日本電気(株)(NEC)に入社し、一部上場企業向けの汎用機営業専門部署(コンピュータ販売部)で営業。1991年NEC退職後、GETTIグループ創業。現在、企業・学校法人・地方自治体をクライアントに、ブティック型で展開するBranding&Consulting事業を行う、株式会社GETTIの代表取締役。また、大学時代に掲げた<Boderless Communication>をグループポリシーとする、GETTIグループの中間持株会社のGETTI INC.(米国デラウエア州法人)のCEO。学生を中心とした<将来世代>、戦後の日本を引っ張ってきた<経験世代>、そして今、頑張るべき<現役世代>が力を合わせて<日本を元気にすること>と<アジアを含めて世界の親睦に寄与すること>を目標に活動中。

望月 三起也

顧問 望月 三起也

神奈川県横浜生まれ。吉田竜夫氏のアシスタントを経て、'60年少年クラブ増刊号にて『特ダネを追え』でデビュー。'64年少年キングにて『秘密探偵JA』を連載。大ヒットとなりその後数多くの作品を少年誌に発表。'68年にはマイク・ハスラーのペンネームで「狂い犬(マッド・ドッグ)を連載 し、青年誌にも進出。また『最前線』等の戦記物も多く、いずれも高い評価を得ている。
'69年からは『ワイルド7』を10年に渡り連載。単行本は増刷を重ね、すでにその合計は800万部を超える。大のサッカーファンで、自らが監督兼プレイヤーを務めるサッカーチーム「THEミイラ」には、TVタレントを含む多くの著名人が参加し、サッカー人気の普及にも貢献。

石川光久

顧問 石川光久

アニメーション製作会社 株式会社プロダクション・アイジー代表取締役社長。1958年 東京都生まれ。大学卒業後、竜の子プロダクションに入社。1987年、独立し創業。プロデューサーとして数多くのアニメーション映画、ゲーム制作などを手掛ける。プロデュースを手掛けた作品には、米国ビルボードチャートで1位となり"ジャパニメーション"ブームのきっかけを創ったとされる劇場「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」(1995年)や、日本のアニメーション作品として初めてカンヌ国際映画祭コンペティション部門にノミネートされた「イノセンス」(2004年)、また2009年に公開された実写映画『ラスト・ブラッド』の原作にあたる劇場「BLOOD THE LAST VAMPIRE」(2000年)などがある。

和泉將一

顧問 和泉將一

アニメーション企画制作会社「マッドハウス北京」総経理(CEO)。1974年 台北生まれ。慶應義塾大学環境情報学部を卒業後、株式会社博報堂に入社。1999年に社内ベンチャーとして事業計画を立案し株式会社インディビジオ(現、博報堂DYインターソリューションズ)を設立し、マンガ/アニメ/ゲーム/キャラクター開発/映画/出版/音楽などのコンテンツビジネスを幅広く手掛ける。2005年、株式会社マッドハウスに入社。ライツ事業と海外事業に従事し、2009年にマッドハウス北京に出向、2010年に転籍し総経理に就任。テレビ作品の他、劇場作品ではアシスタントプロデューサーとして「HIGHLANDER」(2008年)で米国との合作、「よなよなペンギン」(2009年)ではフランスとの合作、初の日中合作による劇場アニメ「チベット犬物語」(邦仮題)は2011年7月に中国で先行上映される。

広川 ひろし

顧問 広川 ひろし

CG映像制作会社 株式会社ダイナモピクチャーズ代表取締役社長。1966年生まれ。大学卒業後、国際証券(現三菱UFJモルガンスタンレー証券)勤務の後、1995年からビジュアルサイエンス研究所にてCG、VR、モーションキャプチャー、立体映像のプロデューサーとして多数のコンテンツを制作。2004年ダイナモピクチャーズを設立し代表取締役に就任。以来数多くのゲーム、映画、アニメ、遊技機等の映像制作に携わっている。
代表作:よなよなペンギン(2009年)

額賀剛治(ぬかが・たけはる)

ゼネラルプロデューサー/事務局長 額賀剛治(ぬかが・たけはる)

大学卒業後、コンビニエンスストアの「株式会社ローソン」に就職するも、夢見る若者に感化されミュージシャンを目指し退職。これが魔の8年間のバイク便生活へ。
結局、音楽では生活ができず、そのために買ったマッキントッシュでイラストレーターを目指す。
そんな折り吉本興業と学生援護会『an』が主催する「BATクリエイターズオーディション」に応募し優勝。
吉本興業初のクリエイターチーム「BAT」に在籍する。
その後、「三和ファイナンス」の豆キャラクターの制作などを手掛け、現在は「5L(ファイブエル)」を発行するライフエンタテイメント株式会社の代表取締役に就任。 2010年 COOLJAPAN株式会社代表取締役。